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【アラベスク】  第1章 春の嵐



第3節 秦鏡 [6]




 放課後に校門でと約束をしたのだから、今日もまた美鶴を待っているのだろう。
 「好きにすれば」としか言っていないワケで、一緒に行くなどと明確な態度を示したつもりはない。だから、無視しても構わない。
 だが、そうするとまた昨日のように家にまで押しかけられるかもしれない。

 そうなれば、それこそ警察を呼んでやる

 そう強気で自分に言い聞かせるのだが、なんとなくそうはできないであろうという諦めがどこかにある。
 それを思うと憂鬱だった。
 それに、覚せい剤を持っているのは山脇で、襲われたのは美鶴だ。山脇からキーホルダーを受け取って一人で警察へ行くこともできるが、女子高校生一人では話をどこまで信用してもらえるのかという不安もあった。
 二人で行っても同じかもしれないが、少なくとも美鶴の一人芝居だと思われる危険はないだろう。

 だが、山脇の意図は未だにわからない…

 昼休みに数学の門浦に声をかけられたが、ほとんど聞いてはいなかった。カンニング疑惑についてのことだったと思う。
 いつものようにひどくうろたえた様子で、辺りを気にしながら「他言はするな」というような内容をツラツラと懇願された。適当に頷いてその場を離れた。
 門浦にどのような疑いをかけられたかなど、今の美鶴にはどうでもよかった。ただ、その存在が鬱陶しい。

 山脇と二人で登校したことによって、特に山脇派の女子生徒にひどく目を付けられてしまったようだ。休み時間ごとに美鶴の周囲は剣呑な雰囲気に包まれた。それも美鶴を不愉快にさせた。

 警察が美鶴の周囲を警戒してくれたら、山脇は離れてくれるかもしれない。
 とにかく山脇を遠ざけたい。その為に…

 自分を納得させるように心内でつぶやき、席を立った。教室を出る美鶴の背中に声がかかったが、無視した。だが相手は諦めない。
 昼休みに、今後一切(いっさい)山脇と一緒に登校はしないという誓いを美鶴に迫った女子生徒だ。
 アホらしくて相手にしなかったら、美鶴が山脇に気があるのだとさらなる誤解を与えてしまった。失敗したと少し後悔もしたが、顔を真っ赤にして迫ってくるのが滑稽で、少し気持ちが晴れた。
「待ちなさいよ」
 しつこく追いかけてくる。振り払おうと早歩きし始めた美鶴の肩に強い力が加わった。
「しつこいっ」
 うんざりと叫んで振り向いた先に、浅黒い顔が目を丸くする。
「っんだよ」
 いきなり怒鳴られて気分を悪くしたようだ。聡は口を尖らせる。
「な、聡」
 突然のことに何を言っていいのかわからない。聡は、そんな美鶴の腕をすばやく掴むと、そのままグイグイと引っ張りだした。
「ちょっ、ちょっと」
 抵抗しようにも、聡の腕力に敵うワケがない。
「なによっ」
 仕方なく口で抗議する美鶴を振り向きもせず、聡はまっすぐに前を向いたままズンズンと歩いていく。
「ちょっと、放してよ」
「やだ」
 ぶっきらぼうな答えに、美鶴は眉を潜めた。
「やだって…」
「ヤなものはやだ」
「あのねぇ」
 不愉快を丸出しにした聡の口調に戸惑いながらも、必死で抵抗する。
「どこ行くのよ。私これから用事が…」
「アイツか?」
「え?」
 何を聞かれたのかわからず、呆気に取られる。
 聡は、それ以上は何も言わずに美鶴を外へ連れ出すと、正門とは反対の裏門から学校の外へ出た。

 空は暗さを増していた。傘を手にする同級生の姿も見られる。
「放してよ。私、用事が――」
「山脇だろ?」
「え?」
「山脇と約束してるんだろ? 今日も一緒に帰るのか?」
「え?」

 聡は明らかに怒っている。怒ってはいなくとも激しく苛立ってはいる。
 ワケがわからず首を傾げる美鶴をようやく振り返り、聡は足を止めた。

「昨日、一緒に帰っただろ。今日も一緒に登校した。アイツ、昨日もお前ん()に泊まったのか?」
 小さな瞳は苛立ち、軽く細められ、強い視線を美鶴に放つ。その気迫が、美鶴に嘘も言い訳も許さない。
「そうだけど」
 口の中で転がすような、聞き取り(にく)いその言葉を聞いた途端、聡は唇を噛みしめた。美鶴の腕を握りしめなおす。
「いたっ」
 だが聡は気に留める風でもなく、再び背を向けて歩き出す。
「ちょっとっ!」
「来いっ!」
 吐き出すような聡の声に、美鶴は言葉を失う。
 いや、もともと言葉なんてない。聡が何を考えているのか、何をしたいのか、これからどうなるのか ……なぜ怒っているのか?

 逆らえば、何をされるかわからない。

 そんな恐怖を感じるほど、聡の身体は苛立ちと怒りと気迫に包まれている。その背中から怒りが溢れ出し、美鶴に絡みついてくるかのようだ。
 聡は昔から、喜怒哀楽のはっきりと現れるタイプだ。怒るところは見たこともある。だが、恐怖を感じるほど感情をぶつけてくることはなかった。聡の姿は、溢れ出る怒りを、理性が必死に押さえ込もうとすらしている。理由はわからない。美鶴にはなす術もない。

 引きずられるようにしてそのまま聡と帰宅した。
 玄関の前でようやく腕を開放され、背中を押されて扉の前に立たされた。
 戸惑いながら鍵を開けた。同時に聡がドアノブに手を伸ばし、すばやく開けると美鶴を中に押し込んだ。そうして自分も中に滑り込むと、そのまま後ろ手にドアを閉めた。
「なによっ!」
 振り向きながら睨み返す美鶴を、聡はそれ以上に剣呑な視線で受け止める。

「お前、アイツのことが好きなのか?」

 唐突に問われて眉をしかめる?
「はぁ?」
「だからっ、山脇のことが好きなのかって聞いてんだよっ!」
 怒りを撒き散らすように叫びあげ、両肩に掴みかかる。さらなる恐怖を感じ、慌てて振り払う。奥へ逃げる。聡が大股で追ってくる。
「好きなのかよっ!」
「違うわよ! 来ないでよっ」
 自室に飛び込み両手で襖を閉めようとするのを、あっけなく押し返されてしまう。もっとも、襖に鍵などないのだから、閉じたところでどうしようもない。伸ばされた手を振り払おうにも、背中で縛った髪の毛と襟首を掴まれて引きずり出される。
「やめろっ 変態っ!」
「うっせーよっ!」
 片手で投げ飛ばすよう振り回され、肩から壁に身体をぶつける。
「いたっ! 何すんのよっ!」
「うるさいっ 黙れっ! 聞くのはこっちだっ」
 怒気丸出しで噛み付く。
「なんで泊まらせたんだよっ」
「そんなの知らないわよ。向こうが勝手に泊まってくって――」
「追い出しゃいいだろっ!」
「できなかったのよっ。なんでそんなに怒るワケ? なんで私がアンタに怒られなきゃならないのよっ!」
 ワケがわからず怒鳴り散らされては、美鶴も黙ってはいられない。
「アイツが泊まろうとどうしようと、アンタには関係ないでしょうっ!」
 途端に聡の双眸は見開かれ、その腕が素早く伸びた。

 ぶたれるっ!

 顔を背けてギュッと目を閉じ、両手でガードする。その手首をガッチリ掴まれて、押さえ込まれて引き寄せられた。
 左の頬が聡の胸板にぶつかった。前髪の根元を掴まれ上向かされる。


 殺されるっ―――


 美鶴の両頬を捉えた。そうして、そのまま引き寄せた。


 あまりの出来事に、美鶴はただ唖然と宙を見つめた。
 自分の身に何が起こっているのか、理解できなかった。

 だが、聡が微かに身を動かし、重ねられた唇の感触がズレた途端、弾かれたように、腕を伸ばして聡を突き飛ばした。勢いで自らも飛ばされ、そのまま背中を壁に打ちつける。じんわりと鈍痛が広がったが、美鶴はそのまま壁にへばりつくように立ち尽くした。
「なにす…… る」
 そう言うのが精一杯だった。唇に聡の感触が甦る。両手で押さえる。
 突き飛ばされた聡はヨロヨロと後ずさったが、すぐに体勢を立て直す。

「好きなんだ」

 前日にも聞いた言葉。
 同じ言葉に、身が震える。


 こいつも……


「ウソだ……」

 震える声を必死に絞り出す。
「ウソだ… 私の事が好きだなんて… アンタも、アンタも私をからかうつもり?」
「からかう?」
 つぶやいた聡の口から、次にはドスの効いた声がもれた。







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